| 「シーユーアゲン」
愛知県 愛知教育大学附属岡崎小学校 5年
奥田 昇吾
この夏は、ぼくにとって特別なものとなった。何物にも変えがたい、とても大切なものを得たのだ。
彼がやってきたのは、八月の後半。兄がマレーシアのホームステイから帰ってきた翌日だった。学校に彼を迎えに行った。アジムという名のイスラム教徒。兄と一才しか違わないのに、背がすごく高くて体格がいい。兄とアジムは、昔からの友達のように笑顔で名前を呼び合った。数日前までは赤の他人だったはずなのに、アジムの家にいた四日間ですっかり打ち解けている。ぼくは初めて会うアジムに話しかけられず、ただニコニコ笑っていた。ぼくは英語が全く分からないのだ。
兄がマレーシアとの相互ホームステイをすることに決まったが、ぼくは家に来るのが誰なのか、、どんな人なのか全く分からなかった。ただ分かっていたのはアジムという名の男の子だということ。その時アジムはまだ、たくさんのマレーシアの中の一人だった。
アジムがぼくの家にいる間、ぼくはなんとか英語で話しかけようとがんばった。しかし、ぼくが話せたことと言えば、
「マイネームイズ ショウゴ」
「ハバドリンク?」
「アーユースリーピー?」
くらいで、あとは知っている単語をならべ、まさにボディーランゲージだった。それでもぼくは、どんどんアジムと仲良くなっていった。いっしょにご飯を食べたり、ボーリングをしたり、ゲームをしたり、花火をしたりした。紙すきの体験や、バーベキューも楽しかった。ぼくたちは、家族同然のような充実した四日間を過ごした。ぼくとアジムは五十センチ 身長差があるけれども、言葉が分からない分、視線をあわせ目で言葉を交わした。
本当は、アジムが来る前は、イスラム教徒だから豚肉やハム類が食べられないと聞いて、なんだか面倒だなぁと思ったし、ぼく自身が、英語ができないからぼくには関係ないと思っていた。けれど、実際は違っていた。
アジムがいる間、アジムのことが気になって仕方なかった。アジムは数え切れないほどの海外旅行経験があったが、ホームステイは初めてだった。それに、アジムはおとなしく自分からは何も要求してこない。ぼくはアジムが困っていないか、何か飲み物を飲まないか、疲れていないかなど、よくたずねていた。アジムはぼくの気遣いに笑顔で応えてくれた。
「ノーサンキュー」
「サンキュー」
短い言葉だったが、ぼくに返事をしてくれる時のアジムの笑顔が大好きだった。
アジムはとてもいい子で、自分のことは全部自分でやってしまう。ぼくの母がよくできた子だと、とても感心していた。アジムは控えめで、心が広くて、賢くて、自立している。そんな優等生のアジムも、遊ぶ時は一人の子どもだった。花火をした時はぼくたちと同じようにうれしそうに走り回り、バーベキューの時は炭がなくなるほどうちわであおいだり、マレーシアにもあるという焼き鳥屋のまねをしたりしていた。ぼくや兄とテレビゲームをした時は、お腹がよじれるほど全員で大笑いした。ゲームに負けそうになると
「ノーーーーー!」
と身をのけ反って大声で叫んだ。
ぼくもゲームしている間、自然と口から出る言葉が「イエス」や「ノー」と英語になっていた。ぼくたちは言葉や国籍を超えて、ともに笑いあっていた。とても不思議だった。アジムが来る前は、家の中で英語なんか誰も話さなかったのに、アジムがいる間、家の中が少しだけ外国になったようだった。
アジムとお別れの日、ぼくは家族の一人が、遠い国に行ってしまうように思え、とても辛かった。必死で涙をこらえた。アジムとは笑顔でお別れが言いたかった。初めは大勢の中の一人だったアジムが、いつの間にか、ぼくにとって世界中でたった一人のアジムになっていた。家族になったのだ。国籍も、話す言葉も、宗教も、生活習慣も、住んでいる場所も全く違うのに、アジムはぼくの家族の一員になった。最後、アジムと兄は手を取り合いハグしていた。母は泣いて何も言えず一晩かかって書いた手紙を渡した。ぼくはアジムと握手をして最後の言葉を交わした。
「サンキュー、アジム。シーユーアゲン!」
アジムは帰ってしまったが、ぼくたちは常にアジムとともに過ごしている。母はアジムに会いに行くと決めたらしく、すぐに、
「インイングリッシュ!」
とぼくたちに要求するようになった。兄は毎日アジムとメールを交わしている。
アジムはぼくたち家族に世界へ目を向けるきっかけを与えてくれた。国際化へのカギを残していった。それはアジムがぼくたちにくれた一番の贈り物だ。
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